
〈ヒスイ海岸で拾った石〉
2009.3.19
一人旅はいつも行き当たりばったりだ。富山行きもそうだった。ちなみに、なぜ富山旅行かといえば、僕の祖先は富山らしいとの話しを聞いていたからだ。親戚は北海道が多いから、自分の祖先は北海道だと思っていたが、そのもっと先は富山県らしいと親が話していた。それで「そうだ、富山へ行こう。」くらいの思いつきで、出発した。
今日の夕方まではインターネットや電話予約では富山行きバスのチケットは「完売」とのことだった。が、ひょっとしたらキャンセルが出るかもしれない。それに賭けてみた。夜行バスの出発時刻20分前に名古屋駅へ。荷物も3日分用意して向かった。もしチケットが買えれば、そのまま富山へ出発。もちろん買えなければ、おとなしく帰宅。
名古屋駅の高速バスチケット窓口。聞けば、ちょうど「1枚キャンセルが出た」とのこと。富山行きが決定した。
23時15分、名古屋駅出発。夜行バスに乗るのはかなり久しぶり。疲れていたのか、すぐ寝てしまい、そのまま富山に着くまで起きなかった。途中2回のサービスエリア休憩も全く気づかなかった。旅行は、目的地に着くまでの時間も楽しいものなのだが、終止熟睡していては少しもったいない気もする。
2009.3.20
早朝6時、富山県となみ着。天気は雨。トナミ駅からローカル列車で城端駅まで向かう。
ローカル列車の中。鳴っている金属音のリズムはすごく心地よかった。この辺りは散居村で有名な場所である。各家々が同じくらいの距離を保ち点在している風景の中を列車が進む。気になるのは、それらの家々には必ず樹木がセットになっていることだ。それぞれの家が、それぞれ一つの村のようだ。そしてその家々を道がつなぎ、あとはすべて田圃。田に水が張った季節に来たら、もっと不思議な光景になるに違いない。
午前7時、城端駅着。散歩。善徳寺というお寺に着く。朝早いので誰もいない。装飾的な門をくぐったら、斜め左の方向にスッと参道が伸び、その先に本堂がある配置。これはなかなかかっこいい。本堂の大きな屋根の曲線を、雨が流れている。そしてその雨水は屋根の樋から地面に置かれた水瓶に落ていく。
城端駅へ戻り、ここからバスで五箇山方面へ向かう。合掌づくりは白川郷が有名だけど、この五箇山の合掌造りも世界遺産らしい。そして白川郷よりも人里から離れていて山が深い。バスで五箇山へ向かう途中、濃霧で数メートル先も見通せなかったが、それが秘境めいた雰囲気。山の所々に見られる梅の花が美しく、目をひいた。合掌造りの家を見るのは始めてではないが、今回は障子がすごく気になった。木や縄や藁といった有機的な素材が基本の中で、白くプレーンな紙の窓が際立っていた。内部空間は、ぼーっと白く光る四角い面。外と内を仕切っているのは、格子に張られた薄い紙一枚だけ。合掌造りの集落を、水流が走っていた。雪どけの水だろう。幅20センチくらいの小さな水流だが、勢いよく流れていて心地いい音だった。
その後バスで高岡駅へ。そこから路面電車で吉宗へ。カレーうどんで有名な店らしい。ここは名古屋を出発する前から行こうと決めていた。コクがあり美味かった。昼食後、歩いて瑞龍寺へ。先日、本屋で見つけ、実物を見たいと思った寺院建築。国宝らしいが、恥ずかしながら今まで知らなかった。むしろ本で見つけた時に、こんなの日本にあったのかと感激した。建築の配置に惹かれた。空間体験はそれほど写真と変わらないが、軸線上の2つの門と回廊のある配置計画によって中心の仏殿が別世界の場所のように感じられた。芝生などイタリアのピサの記憶とだぶった。一番奥の法堂の回廊空間が気持ちよく、メジャーで実測しスケッチをする。
井波駅へ。外はもうだいぶ暗く人通りも疎ら。泊まる場所は瑞泉寺のすぐ近くに民宿を見つけた。中庭もありちゃんとしたつくり。床が木の板張りの厠は上品だった。観光シーズンでははなく、泊まっている客は自分だけのようだった。宿にあった「富山県人名録」で大角の名前を探すとどうやら入善町に極端に多いことがわかった。明日、入善町に行ってみようと思う。
2009.3.21
翌朝、晴れ。朝食後、参道を散歩し、瑞泉寺へ。参道を行った先に屋根が見える。近くで見ても屋根が力強かった。井波は木彫の街で、参道のあちらこちらで職人が木を彫っていた。その後歩いて丘の方へ。丘の上の公園からは砺波の散居村の風景を眺められる。
海沿いを走る列車で入善町へ向かう。列車の窓の右手側は山々、左手側は海。入善町付近はアルプスの山と日本海の見える不思議な場所。そこに田圃が広がっている。魚津駅近くに宿を見つける。小さな日本料理店でホタルイカなどを食べ、早めに就寝。
2009.3.22
雨と風が強い。海沿いの市で海鮮丼の朝食。観光案内の受付で街の図書館の場所を尋ね、市立図書館へ向かう。本棚の脇には柳宗理のバタフライチェアーが並んでいた。人名録や10年以上前の新聞を書庫から出してもらい、大角の名字を調べる。造形作家などがいて、よく写生と読書をしていたとのこと。習いたい。図書館で越中宮崎のヒスイ海岸の写真を見つけ、行くことに。日本海沿いを列車で向かう。この辺りは蜃気楼の見られる場所であり、また以前読んだ、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』の不思議な出来事の、まさにその列車である。もちろんその列車に押絵と旅する男はいなかったが。その代わり、相席には外国人の女性だった。ブルガリア出身で名前はヴィキとのこと。美女である。今は東京のロースクールに一学期の留学中らしい。しばしヘタな英語で雑談し、自分は越中宮崎駅で下車。
ヒスイ海岸へ。海の水平ラインが広がり、ほとんど人はいない。なにか最果てまで来たような気分。大角という祖先をたどってきて、ここにたどり着いたなという気までしてくる。一人旅で海に来るとはそうそうない話しだ。でもせっかくなので、石拾い。この海岸はヒスイだけでなく、丸くカタチのいい石がたくさんあり、つい夢中になってしまった。一、二時間は石を集めていた。小雨の中スケッチなどもする。
その後富山駅へ向かい、16時50分富山駅着。バスの切符を買い、コーヒーショップで昼食。17時40分富山発。名古屋到着後、実家によって22時頃帰宅。