高野山


2011.12.31 - 2012.1.4

高野山は弘法大師空海の開いた真言密教の霊場である。
和歌山県に位置し、山々に囲まれた海抜900メートル近い盆地となっている。
その盆地に100を越えるお寺が建つ、いわば「宗教都市」らしい。

以前から密教や曼荼羅への関心はあり、この年末年始は、インド、ネパール、チベットへ行きたいとも考えていた。
が、少しずつ仏教や密教関連の本を読み進めるうちに、「高野山はとにかく実際に行かねば」という思いが強まっていった。
それで、インド行きは止め、高野山へ向かった。

だから、意気込みとしては、海外へ行くようなつもりだった。
行く日数も、宿も決めない。あえて、ケイタイも持っていかなかった。
出会うものを逃したくないと思って、そうした。

帰ってきて、「修行に行ったの?」とよく聞かれるが、それはない。
むしろ、「観光」の域を脱してはいない。
それでも、「海外旅行」くらいには新鮮な体験だったと思い、
ここに備忘録のノートを記しておきたい。

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2011年12月31日

朝、5時半起床。6時半、地下鉄平針駅発。

JR等を乗り継ぎ、大阪難波から高野山駅へ向かう。次第に山の奥地へ入っていく。

ケーブルカーを乗り継ぎ、山の上へ。10時半、高野山駅着。
まずはバスで、大門へ向かう。大門は高野山の端にある、この宗教都市への入り口。

司馬遼太郎が書いていたが、この門の外側は山々と「空」。どこか遠くの世界へやって来たような感覚になる。


     *

高野山を開いた空海は、若い頃に山岳修行であちこちの山を歩き回っており、その時の体験から高野山という場所を真言密教の修行場に選んだ。この盆地は、8つの峰々に囲まれており、その有り様が8枚の蓮の花弁のようで、この八葉蓮華はまさに、密教の胎蔵界曼荼羅と対応している。

その当時の、空海が高野山を発見した時の感覚に興味があり、8つの峰の内の1つである弁天岳まで登ってみることにした。

さすがに標高1000m近くで雪道。11時半に弁天岳の頂上へ到着した。
鳥居と祠があり、その後ろに1本の大きな杉の木。
さすがに自分以外は誰もいない。

空海もこの道を歩き、この場所で休んだだろうか。ここは重要なポイントだから、おそらくそうしただろう。
山は雪が薄く積もり、歩くとザクザクと小気味よい音を立てる。そして雪解けの水の落ちる音、鳥の鳴き声。その他は静かな晴天。
杉の木立から細かな氷の粒が、粉のように舞い降りている。木立の間から差している太陽の光に輝き、銀の粉のよう。
冷気の中、太陽の光が温かい。
こんな光景は、空海の頃と、さほど変わっていないのだろう。

しばらく休んで、再び大門へ下りる。途中、高野山の盆地の根本大塔が、眼下に見えた。
木々の中に、緑の屋根と朱色の塔が、頭を出している。あの塔こそが高野山の中心的な存在だ。
これからあそこへ向かうのだと思うと、高揚した。

雪の山道で、鈴虫や鳥の鳴き声がせわしくなった。この辺りに巣があるのだろう、警戒しているようだった。

その辺りの上を見上げると、高く高くそびえる樹木。守り神のようだった。

12時20分、再び大門へ。いよいよ高野山の中へ入る。

     *

町の中心である根本大塔へ向かう途中、町のおばあさんに話しかけられた。
一人旅だとこういうことがよくある。
「夏の高野山もいいから、またいらっしゃい」とのこと。

根本大塔へ。白い雪の周囲に対して、朱色の外観で、目に鮮やか。

この大塔は何度も火災にあい、現在のものはコンクリート造で新しい。

塔の内部へ。仏像の大きさに圧倒される。しかも、大きな仏像が5体も、曼荼羅の配置に並ぶ。
中央が大日如来、左から時計回りに、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来、阿閦如来。まさに立体曼荼羅で、壮大なスケール感になんとも自分が小さく感じられる。密教には「入我我入」という言葉があるらしく、仏と自分が一体化するという考えらしいが、この巨大な仏像を見るととてもそんな域にはいたらないだろうと思ってしまった。
3周程、ゆっくり眺めながら、伽藍の中をまわる。歩きながら、仏たちの森をさまようようであった。

西塔も多宝塔の型で、彩色はされていなく、時間の経った木の素材感がよい。


この伽藍周辺の西端には、御社があり、この土地の山の神様もまつられている。
空海はこの高野山を開くに当たって、まず初めに、この土地の古来からの神様をまつったらいし。
この新旧多様な神や仏様を、一緒に共存させるという在り方は、とても好きな感覚だ。

     *

高野山は思ったより広く、一つ一つもゆっくり観たい。
さすがに「日帰り」はキツいので、今日は一泊したいと考えた。
もちろん高野山にホテルはなく、どこかのお寺の宿坊に泊めてもらうことになる。
公衆電話からいくつかの寺に確認。が、年末年始で、さすがにどこも一杯。
「やっぱり日帰りか。」と諦めかけた7つ目くらいのお寺で、ようやく一室空きを見つけた。
天徳院という寺院。宿を確保できた。
夜の時間つぶしにと、書店で空海関連の本を4冊購入し、天徳院に3時半着。

この寺は庭が美しい。小堀遠州の作らしく、国の名勝にも指定されているとのこと。
しかも自分の部屋は庭に面した角部屋で、2面木製掃き出し窓。かなり気に入った。
エントランス周りの樹木も品がある。

     *

その後、奥の院まで歩く。もう日が傾き、木々の上方はオレンジ色に太陽が照らしている。
空には白い月。非現実的な、どこか物語の世界のような月にみえた。

参道には延々と雪をかぶったお墓が並ぶ。その数、20万とのこと。
豊臣、織田、といった歴史的な名前から、現代の一流企業の名前まで、蒼々たる面々。

一時間ほど歩き、奥の院、弘法大師御廟と灯籠堂へ到着。
中ではお経を読む僧侶たちがいて、暗い空間にオレンジ色の照明が無数に灯る妖しい雰囲気。
日本にもこういう場所があるのかと、いい驚きだった。
そして、現代にまで続くこういう場所をつくった空海という男をすごいと感じずにはいられない。
インド・中国・日本への伝わってきた道のりや時間と、空海が高野山を開くまでの物語を思うと、「日本」はなかなか凄い文化が生き続けているのだと感動する。来てよかった。

     *

その後、また1時間程歩いて宿坊へ戻る。
よく歩いた。が、空海の歩いた量と比べたら、なんのことはないのだろう。

宿坊の部屋で夕食。お膳3つに様々なおかずがあり、腹一杯。
今日は12月31日だからと、年越しそばまで頂いた。
量は多いが、やはりお寺で食べ物は残したくはない。
結局満腹で動けなくなり、しばし寝転ぶ。

[食前の言葉]
一滴の水にも天地のめぐみがこもっております。
一粒の米にも万人のちからが加わっております。ありがたくいただきましょう。
[食後の言葉]
ごちそうさま。
(箸袋のことばより)

食後、風呂へ。
至れり尽くせりだな、これでは。

     *

夜11時半から除夜の鐘をききに、根本大塔と鐘撞堂へ。
日本酒を配っていて、いただく。
根本大塔の正面扉が開けられており、本尊の大日如来はじめ、中の仏像が伽藍下の外から見える。
そしてその向かい側に鐘撞堂がある。
6人ほどの僧がお経を唱えながら鐘を鳴らす。
108回の除夜の鐘。
周りの人々もお経を暗唱してるらしく、辺り一帯が、信仰の空気になった。

2つのお堂、大塔と鐘撞堂の、音と光の壮大なスペクタクルショーとでも言ったらいいか。

この一年を振り返れば、大震災が圧倒的によみがえってくる。祈りすら無力で無責任なものに思えてくる。が、この密教の実践の現場に、少し救いもあるようにも感じる。

     *

24時、新年あけ、そのまま「諸堂巡礼」。
十数棟あるお堂を、僧侶と一般人らが歩いて巡り、お経を唱える。
土地の神様がいる御社でも『般若心経』が唱えられ、密教は懐が深いなと思った。


この巡礼は諸堂のハイライトになったし、密教の呪術的な空気に触れられ体験することができた。
火やオレンジ色の灯りがとても落ち着かせてくれ、かつ、エネルギーをくれる。

諸堂巡礼の後、深夜1時頃に宿坊へもどり、就寝。

[つづく]

追記。
[つづく]と書きましたが、未だ2~5日目のノートが書けていません。
ここまで読んでくれていた人がいたら、申し訳ない。
スケッチ帳にはメモしてあるので、いずれ書きたいとは思います。

追記2。
1月1日以降の高野山ノートは、『写真ノート』の方に更新しています。