<1月1日 パナウティにて>
[1] 2010.12.26
朝6時起床。昨晩は、荷造りや洗濯などし、前回のインド・ネパール旅行の日記を読み返したりしていた。前回、というのは8年前のものだ。読んでいて、恥ずかしくなるものだった。これは誰に読ませるわけでもなく書いていたのだからウソは書いていないのだろう。もちろんそれは今もだけど、ただインターネット上に書く日記は他人に読まれることを意識した文章も多い。単なる記録としてだけでなく、人に紹介したいという気持ちが少なかれある。それが中心になってもマズいのだが。ゲーテも、クレーも、紀行日記などを記しているが、それもやはり、誰かにあてて書いているものだとの話しもあったように記憶している。彼らも同じか、と考えると、なんとなく心強い。
午前8時、中部国際空港に到着。空港で旅行保険に入り、フライトチケットのチェックインも済ませる。コーヒーとハンバーガーの朝食。手作りらしい味で、美味だった。空港のTVでは、2010年に亡くなった著名人の総集が流れている。出発までの時間、コーヒーを飲みながらメモを記す。さらさらとスケッチ帳を見返していて、我ながら落ち着きが足りないことがわかる。絵にも、字にも、それがよく表れている。こうやって、ちょこちょこ旅に出ねばね。そろそろ時間か。両替後、搭乗口へ。
9時55分、中部国際空港発。キャセイパシフィック航空CX533便。航空機の窓の外に、海を行き交う船が見える。数隻の貨物船が海の上をゆっくりと進んでいる。離陸。離陸時、エンジンがフル回転する音とともに滑走路を急加速する瞬間は、まるでタイムマシンに乗った気分だ。
経由地の香港への機内では、メモを記したり、機内ラジオを聴いたり、機内食を食べたり。やや落ち着きがない。ビールを飲みたいと思っていたところに、フライトアテンダント来て、ビールを注文。だが、なぜかうまく意思疎通が出来ず、アテンダントはメモ紙を取り出し見せてくれた。そこには、①ビーフ②チキンと書かれていた。彼女は「ビール」ではなく、機内食は「ビーフ」でよいか、と伝えたかったらしい。久しぶりの英会話で「ビール」を連呼し、恥ずかしい思いをした。もうちょっと、耳を慣らしてくるべきだったかもしれない。
13時半、香港国際空港着。乗り継ぎまで4時間ある。香港の街まで出る時間もないので、空港のカフェでスケッチなどをする。しかし、空港でのこの時間は好きだ。旅に出た解放感、本当に様々な人のいる場所。これだけワクワクできる場所は、そうないだろう。
空港の椅子に座り、外を眺めている。航空機のスケッチ。ジェット機は動く。空も飛ぶ。車も、船も、ヘリコプターも動く。建築は動かない。全く動かずそこにある。遠くに山が見えるが、山も動かず、そこにある。建築はやはり、山や土地に近いものだな。スケッチしながら、そんなことを考える。人は、旅にでると、ビックリするくらい単純なことを考え出すようだ。
15時半、香港を発つ。CX6732便。21時頃、バングラデシュのダッカを経由、22時15分、ネパールのカトマンズに到着。ほぼ定刻通り。ホテルの迎えが来ており、カトマンズの中心部タメル地区へ。ドライバーいわく、この8年間でだいぶ変化したらしく、街を見ていてもまだ記憶が戻ってこない。ホテル着、シャワーは明日にして24時頃就寝。iPhoneも目覚まし時計もないので、明日は自力で起きよう。
[2] 2010.12.27
朝7時半起床。昨晩は寒かった。このネパールの首都カトマンズは標高1300mであるから、鈴鹿山脈の山頂より高い。伊吹山の山頂にいるようなものである。朝晩はダウンジャケットが必須だ。
朝、付近を散歩して、もう少し快適そうなホテルを見つける。角部屋で景色もよく、毛布も快適そう。かつ、値段も半額くらいになるので、その場でチェックイン。
荷物を部屋に置き、街を歩く。まず薬局へ。石けん、シャンプー、ヒゲ剃りなどを購入。薬局の店員の英語が流暢なので、いくつか街の情報を聞く。うまい食堂はないか?の問いに、すぐそばの食堂を教えてもらった。そこで朝食。トゥクパというチベットのヌードル。暖まった。65ルピー。
その後、適当な旅行代理店へ入り、翌日のポカラ行きの国内線航空チケッチを手配。やはり年末年始で旅行客が多く、翌日発のチケット手配は手こずっているようだ。10分待てと言われる。こんな時は2、3倍の時間がかかるだろうから、その間に街の散歩へ。カトマンズの大通りはものすごい交通量。さらに、タメル地区は完全に観光客向けの風だ。やはりもっと田舎に行くべきだな。店に戻り、無事に、希望の出発時間でチケット購入。
もう昼過ぎ。時間も経ってしまったのでタクシーを使ってキルティプールという町へ。カトマンズ盆地の西の丘の上に栄えた町。今はその織物の手工業で繁栄した中世の時のままの町並を残しており、のどかな古都である。
まだまだ訪れる観光客もほとんどいなく、今回の旅では行きたい町の一つだった。丘の上の町、というロケーションに惹かれていたが、その通りに、丘の上部に沿って町がある。カトマンズの中心部からそう遠くないわりに、車もまだ入りにくいようだ。
町の樹木はどれも巨大である。信仰の対象でもあり、人々の休憩の場でもある。
住居はそれぞれに装飾され特徴があり、家それぞれに信仰の仕方があるようだ。
キルティプールは、その細長い丘という地形によって、町の中には豊かな路地が生まれている。階段上の路地にも、大人の談笑と子どもの遊び声が響いている。いや、人だけではない。この町では、たくさんの動物が一緒に生存しているようだ。空には鳥が舞い、町を犬やニワトリの親子が歩き回っている。ヒヨコたちに餌のとり方を教える親ニワトリなんかが、普通に路地で暮らしている。あちらの屋根の上には、ネコが散歩中のようだ。この町では鳥と動物と人の声が響き合っていた。
細長い丘には東西の頂上があり、そこにチランチュ・ストゥーパとウマ・マヘシュワール寺院がある。またその中心部にバグ・バイラブ寺院がある。
それぞれ小高い丘の頂上なので、眺めがよく、遠くにヒマラヤの山も見ることができる。陽の沈むまでの時は、非常にゆったりとした時間だった。
東側のストゥーパから少し降りた場所からは、近くの山の向こう側に日が沈んだところが眺められる。
それをスケッチしようとしたら、町の子どもたちにつかまった。興味津々、というふうで近づいて来て、スケッチ帳で字を書いたりデジカメ撮影でつい盛り上がってしまった。
子どもたちの名前を日本の文字で書いてあげると、それを自分らの手に書き写していった。親や友達に自慢するのかもしれないな。大人まで近寄ってきて話しだし、日が暮れるまでそこで過ごしてしまった。その後、親切にカトマンズ行きのバス乗り場まで案内もしてもらった。行きのタクシーは350ルピーで、これもマア適正料金だが、帰りの乗り合いワゴンは12ルピーであった。
カトマンズに着いたらしくワゴンを降りたが、いまいちそこがどこかわからない。もう辺りは暗いからなおさらである。その大通りの歩道には、洋服や雑貨を売る人、それを品定めする人がたくさんいる。道ばたにシートを広げ、その上にたくさんの商品を並べている、簡素なマーケットだ。通りの交差点付近には、食事をする人もいる。見ると、火でぐつぐつと何かを煮ており、その周りに簡単な椅子を置いただけのものだ。
しかし、これがなかなか人で賑わっており、オレンジ色に燃える中央の火がなんとも暖かい。今までの旅であったら、腹をこわしそうだと、遠慮していただろう。が、その時は、その炎を囲んでの食事に、強く惹きつけられた。コレは食べねば。地元の人々がこんなに美味そうに食べているのだから。ふと思い出した辺見庸の『もの食う人々』の記憶にも後押しされ、ベンチに座った。もちろん、英語も通じないが、周りの人と同じ物を欲しいと注文。おそらく羊の肉を煮込んだもの。それに、お米のパフのようなものを添える。少し辛めの香辛料がきいて、うまい。肉は、しっかりと噛みごたえがあるが、日本人のひ弱なアゴと違い、現地の人はもっと鍛えられているに違いない。とにかく、炎を囲んでの食事はとても満足できるものだった。こんなところに観光客は絶対来ないのだろうか、英語の出来る現地の人に「お前はすっかりネパール人みたいだよ。」と言われてしまった。これはなかなか嬉しいお言葉。ネパールに到着してまだ24時間も経っていないのに、早くもネパーリーに近づけたようだ。ちなみに、この料理が20ルピーであり、普通のレストランの10分の1程度の価格。
食後、街の賑わっていそうな方向へ歩き、タメル地区のホテルへ。途中、バナナとリンゴを購入。ホテルで、熱いシャワーを浴びる。
その後、すぐ近くの屋上レストランへ行き、ビールをいただきながら今日のメモを記す。1時間程過ごし、ホテルへ。22時過ぎ就寝。
[3] 2010.12.28
朝6時目をさまし、再び7時まで眠る。昨日の露天での夕食後、今のところ体調に問題なく、腹をこわさずに済みそうだ。自分が食事に対してどのくらい大丈夫なのかを試している感もある。
8時ホテルを出発。乗り合いのオートバスがラニーポカラの前付近から出ており、ゴウサラへ。ポカラ行きの飛行機までの時間で、パシュパティナートを訪れるため。ゴウサラ下車。交差点でチャイを飲む人が多数いる。昨日の夕食の飲食場も交差点だった。このチヤが非常にうまそうだったので、いただく。これまた衛生的には疑問符つきであるが、キチンと火を通っているのでよっぽど大丈夫だろう。いや、逆にこれだけ火を通してもまだ殺菌できないものは、相当にヤバいモノに違いない。とにかく地元の皆さんが美味そうに飲んでいるので、いただいた。10ルピー。うまかった。少しネパール語の数字も覚えてきて、値段がわかるのが楽しい。
時間はあまりないが、パシュパティナートへ。この辺りの樹木も大きく、やや霧がかった大気。霊気とでも言ったらいいのか、古くからの寺院らしい空気だ。呼吸も穏やかになる。
川沿いのガートへ。つまり火葬場である。インドでもそうだが、川は、身を浄める沐浴の場であり、洗濯の場であり、火葬場でもある。しばらく過ごしたが、この旅の間にまたここへは来たいと思う。
タクシーですぐ近くの空港へ。国内線の荷物チェックは簡単なものだ。チェックインカウンターにて、飛行機はすべて1時間遅れとのこと。待ち合いロビーはたくさんの人。結局、定刻より2時間ほど遅れて、13時半にポカラ行きは飛び立った。セスナ機のような小さな飛行機で、19人乗りだ。さすがに揺れると緊張する。しかし、このフライトはヒマラヤのすぐ近くを飛ぶため、雪に覆われた雄大な山々を見るのには最適だ。個人的には、こんなに簡単にヒマラヤの山が見えてしまうことに、少々有り難みに欠ける気がした。8年前にネパールに来た時は、長い長い道のりをバスに揺られてポカラに着き、そこでようやく見えたヒマラヤの山に、ものすごく感動したのを覚えている。
ポカラへのフライトは、30分程度。あっという間に着いた。ホテル探しは、ガイドブックで選ばずに、数件をまわる。レイクシティホテルという宿は、庭の手入れがされ、植物もスケッチしたくなるようなものだった。スタッフの印象もよく、ここに泊まることにした。屋上のレストランからは湖が眺められる。スタッフとしばらく雑談し、ここは信用できるように思われたので、ここで帰りのカトマンズ行きのフライトチケットと明日の山歩きのガイドも紹介してもらうことにした。この2日間の予定が一気に決まった。
夕方はレイクサイドを散歩。
ポカラのフェワ湖。夕暮れ時、あたりが紫色に包まれる。
湖沿いに、竹で作った巨大なブランコがあった。シンプルで原始的でかっこいい。
夕食は、ネパーリーのレストラン。ガイドブックに載っているネパール語の片言のコメントを覚え、意外に笑いが取れた。現地の言葉を覚えるのも面白そうだ。
明日は日が出る前に起きよう。22時就寝。
[4] 2010.12.29
朝6時起床。まだ暗い。部屋の外へ出ると、星が見える。湖へ行くことにした。辺りは暗いが、人々はもう起きているようで、話し声やラジオの音楽がどこからか聞こえる。
フェワ湖、水辺にはり出した展望台へ。まだ星空。そして月。少しずつ東の空が明るくなり始める。いつの間にか星は見えなくなり、ただ一つ金星だけがギラリと光り輝いている。空には、そのダイヤモンドみたいな金星と、太陽のある側が光る三日月だけである。地球からかなり近い位置にあるのだろう。
湖は、もやが漂う。遠くには舟にのる人も見えた。
夜明けの時は、よい時間だ。まあ日々、すぐにそれを忘れてしまうんだが。静かな早朝、劇的な日の出の空などが、本当は毎日存在しているはずである。一日の始まりに、朝の時間、を持てるかどうかだ。自分は、こういう自然のある風景の朝もいいなと思うが、都市の朝も好きだ。どこであれ、朝の時間、の中に入り込み、そしてその朝を眺められるような、そういう時間を持ちたい。そのことを再認識した。
ホテルの屋上で朝食。トースト2枚、ジャンボ卵焼き、ポテトとピーマンの炒め物、コーヒー。なかなか美味い。山のガイドはハリーという名前。少々若い感じがしたが、話すうちに悪くないナと見えた。
タクシーでヒュンザへ。ここからトレッキング。といっても、登山装備を持ってきてないので、ハイキングと言った方が正確だ。この辺りは地元の人も多く歩いていて、子ども達も登校に使っている山道のようだ。
そのとき、木々の影から動物が飛び出して来た。ウサギだ!僕がそれを認識するよりも早く、山道を歩いていた村の人々は何やら熱くなり叫び出した。ガイドのハリーに聞くと、捕まえようとしているとのこと。どうやら食用になるらしい。捕まえようとする村の人々も、逃げるウサギもお互い必死である。結局、ウサギが逃げ切った。個人的には、ホッとしたが、村の人々は悔しがっていた。
その後、アスタム方向へ進む。空にほとんど雲はない、快晴。太陽のあたる日向は暑いが、日陰の部分を歩くと寒い。非常にのどかな風景が続いた。石を積んだ家が点在し、牛や山羊などが飼われている。ミルクをとるためらしい。
途中、貴重な機会に出会えた。ガイドであるハリーのお姉さん、シータさんが暮らす家に立ち寄ることが出来たのだ。ちょっとチヤでも飲んでくか、ということになったのは、広大な棚田が広がるアスタムという地域。そこから、ヒマラヤの景色が広がっている。
シータさんの家。

スケッチ帳。
家の軒先でチャイを飲みながら雑談し、家の中も見せてもらった。
薪のかまどがあるキッチン。天井にはトウモロコシがぶら下がる。
室内は暗い。闇といってもいいが、否定的な意味ではなく、むしろどの部屋も落ち着く内部空間で、窓から射す光が印象的だった。「外」と「内」が非常に対照的である。
そうこうしてゆったりと過ごすうちに、シータさんから昼食もどう?との提案。喜んでいただくことに。
出してもらったのは、菜っ葉とポテトの炒め物と、あつあつ炊きたてのご飯。これが、ものすごくうまい。炒め物の塩加減が絶妙なのだ。唐辛子もいい感じ。それを、たった今、かまどで炊きあがったばかりのご飯と混ぜて食べる。素晴らしかった。山羊のミルクも出してもらう。ミルクは少々残してしまったが、山を歩いてきた身体には本当にありがい食事だった。
ヒマラヤをバックに、パチリ。写真、送ります。
ダンプスへの道を進む。
こんな山の方でも水の湧く場所があり、洗濯などをしていた。
チョウタラ。山道の所々にある休憩場所。たいてい眺めが良いポイントにあり、その近くにヒンドゥー教の神様の祠などがあることも多い。
快晴だが、午後になり、高い山の上空には少し雲が出てきた。開けた原っぱで休憩。
あたりは音がない。風もほとんどない。その無音、無風の中で、巨大なヒマラヤと、流れていく雲を眺める。すごく静かだけど、なにか大きい動き、つまり地球の自転を意識してしまうような、不思議な光景だった。しばらく眺めた。
午後3時半、今日の目的地であるダンプスへ到着。宿でシャワーを浴び、チャイを飲んで休憩。
見晴らしのいい場所へ登り、スケッチを数枚。ハリーも2枚描いていたが、おもしろい絵だった。太陽の光線まで描かれ、言葉なんかも書き添えられているものだった。これは負けたな、と思ってしまうものがあった。
夕暮れの頃、ヒマラヤの山はピンク色に染まる。空も、地平線が淡いピンク色になり、360度全方向に「虹」の輪が現れた。
夕食は、ホテルでカレー。食後、部屋でメモやスケッチを描く。
外にでて、星空に驚いた。星が落ちてきそうなのである。手を伸ばすと、つまめそうに見える。もちろんつまめないけど、距離にして、10メートルくらい先に星があるように見える。そして、その無数の星が、本当にキラキラとまたたいている。ギラギラといってもいい。自ら燃えて光を発している星、恒星がこれほどまでに多いとは思わなかった。恐らく、今まで見た中でも、最も「満天」の星空だ。
メモの続きを書き、22時半就寝。
[5] 2010.12.30
朝6時半起床。夜が明けきらぬうちに、昨日行ったビューポイントへ。ヒマラヤの山々が陽を浴び始める。山の麓は、まだ夜明け前。周囲が、昨日の夕暮れと同じように虹の輪に色づいてくる。動画を撮影。そのとき。近くの山の山頂から日が昇り始めた。ちょうど山頂。今自分が座っている、この巨大な岩と、近くの山の山頂と、太陽の登る位置が一直線上になっている。日付は12/30であり、1/1に合わせた暦が、この巨大な岩のポイントと山と太陽を結ぶ軸線となっているのかもしれない。もちろんこれはたまたまかもしれないが、ピラミッドやストーンヘンジを見たことがない自分には、かなり衝撃的な瞬間だった。
朝食は、クレープとコーヒー。ノーダラへ向かう。山を下り、川を渡る。水は透明できれいだ。水の音が心地よい。昨晩の夜の静けさの中でも、この水音は聞こえてこなかった。川からノーダラへの登りは木々の茂る道を通る。ダンプスから約2時間でノーダラ到着。やはり昨日の疲れがあり、足に堪えた。
チヤを飲み、休憩。ノーダラからポカラへの帰り道は、ローカルバス。バス車内には音楽が流れており、楽しい雰囲気。ビンドゥバシニ寺院へ寄って、ポカラのホテルへ戻った。やや歩き疲れたが、かなり満足のトレッキングだった。ガイドのハリーにも感謝。
レイクサイドの食堂で、遅めの昼食。ダルバートを注文。30分かかると言われたが、了承。レイクサイドで水牛や遊ぶ子どもを眺めながら過ごす。ポカラらしい時間だ。
カレー味のダルバートは美味かった。レイクサイドは観光地だが、学生のときに来た時もそうで、地元の食堂が安くてうまい。昨日、ハリーから教わり、ネパール語をだいぶ覚えてきたので、楽しみも増えた。
CD等の土産を購入。夕食はマンマミーアでイタリア料理。この店は8年ぶりだが、相変わらず流行っていた。ホテルへ戻り、21時半就寝。山登りで、足が痛い。
[6] 2010.12.31
朝6時半起床。曇天にて、ヒマラヤは見えず。ホテル屋上から周囲で暮らす人々の様子が見える。
表通りから裏の庭側に向かって、徐々に増築していけ、各住居が延長できるシステムとみた。
洗濯物の色彩が、華やかである。
ホテルをチェックアウト。この宿はまた来てもよい。
タクシーで空港へ。値段の交渉に無駄がなくなってきた。空港着、カウンターでチェックインを済ませ、2階の屋上テラスで休憩。さすがにポカラは景色がよい。空港と町も歩いてでも行ける距離で、小さな過ごしやすい町だ。
アジアのフライトは時間よりも遅れるモノだと安心して、テラスでのんびりとビスケットを食べていたら、今日は定刻通りの離陸らしい。セキュリティチェックで時間を取られ、時間ギリギリになってしまった。9時半、無事に離陸。
アグニ・エアラインは、行きのグナ・エアラインよりも広い機内。ただし今回は曇天で、ヒマラヤはほとんど見えず。行きにも飛行機を使ったのは正解であった。
30分でカトマンズ空港着。この旅で2回目のパシュパティナートへ。起伏のある地形に川があり、様々な寺院・屋根が点在している。複雑な場所だ。早朝にも来たい。
バスでラトナパークへ。タメル地区で宿を探し、2泊予約。本日は、パナウティ泊するなので、荷物を置くためだけの安宿。
カトマンズの自転車屋。名古屋市のカトーサイクルよりもチャリ多し。
ガイドブックには名前がないが、ティガルというストゥーパとのこと。横にはチベットの寺院もあった。
カトマンズの住居の中庭。鉢植えが中心だが、この雰囲気。
リキシャでバスパークへ。この人ごみの中をリキシャで通るのはやや無謀であった。バスパークから、バネパ行きのバスを探す。ネパールの文字は読めないので、人に聞いて無事にバス乗車。ローカルバスに乗ると、その国・地域のマナーもわかる。やはりお年寄りに席を譲ることは同じようだ。バネパでバスを降り、パナウティ行きに乗り換え。
パナウティに着いた時には暗くなり始めていた。こんな小さな町にもホテルはあるようで、看板に従って道を進む。ホテルでチェックイン。ここは田舎町であり、かつ、今日は1/1カウントダウンの日であるため、ホテルの宿泊客は自分一人だけとのこと。ホテルのスタッフにも「なぜ、お前は1/1カウントダウンの日にこんな田舎町に来たんだ?」と聞かれてしまう。僕は、寺と集落を観るためにネパールに来たんだ、と答える。スタッフも理解してくれ、オススメのスポットまで教えてくれた。しかし、そうは言ったものの、このホテルに客一人だけとは、さすがに心細い。日も暮れて、ホットシャワーも出ないらしいので、シャワーも明日だ。
気を取り直して、夕食をとりに町を歩く。屋台で串をつまみ、人の多い食堂を見つけたので入る。モモの店だ。蒸したギョウザに、少し酸味のあるスパイスソースをかけるもの。これが、相当にヒットした。かなりうまいので、もう一皿おかわり下さい、をジェスチャーで伝える。周りの地元の人の食べ方を見ると、スプーンで皮に切れ目を入れ、そこにソースをしみ込ませているので、マネしてみる。やはり美味。暖まった。
ホテルへ戻り、メモを記す。現在、夜8時。今年もあと4時間。しかし、ネパールでの「新年」は4月で、今はNew Yearではない。カトマンズのカウントダウンは、観光客がやっているものだ。自分はネパールに従おう。少々早いが、20時就寝。
[7] 2011.1.1
朝6時半起床。パナウティの町を散策。町のあちこちにある休憩スペースの壁面に仏像が置かれているが、そこにロウソクの火を灯しながら、花を供えている女性たち。早朝のまだ薄暗い町に、ロウソクの炎が揺らめく。仏像の前で手を合わせる。今日は自分にとっては新年であるが、この町の人々にとっては毎朝繰り返されていることなのだ。
川原の方へ。ここで歯を磨く人もたくさんいる。空の雲がオレンジ色に染まり始める。朝。
町の中心にそびえるシヴァ寺院へ。
塔は3重なのだが、高く天に向かってそびえている。朝陽が寺院と町を照らし、朱色になる。
川沿いへ。クリシュナ寺院へ出た。2つの川が合流する地点に建つ寺院。
東から太陽の光が射してきて、川の水面がきらめく。ハッとする光景だった。朝の霧がかった大気の中、川のせせらぎが響いている。川沿いには数人の人々。
しばらくして、クリシュナ寺院には町の男たちがたくさん集まり始め、何かを準備し始めた。ガート、つまり火葬の準備であった。寺院の裏側に遺体が運ばれている。ゆっくりと準備は整って行く。川のガート側には男性しか入ることができないのだろう。5、60人の男たちがいる。遺体は火葬場の上に置かれ、数人がその周りを2周ほどまわった後、火がつけられた。泣く人もいる。
ガートは白い煙をあげ燃えている。煙は、寺院、山よりも高く登り、広がり、やがて空へ消えていく。そのガートの炎と煙を見ていると、悲しみも和らぎ、落ち着いていくように感じた。
朝の時間を過ごせたのもよかったのだろうが、この川に囲まれた小さな村パナウティは、村全体が寺のような雰囲気に包まれているように感じられ、信仰と生活が一体となっている暮らしを垣間みれた。また、緑の豊かな季節に訪れてみたい。
パナウティからドゥリケルへ向かう。
ローカルバス。別に中国雑技団の人たちでもなく、ギネスに挑戦しているわけでもない。
さすがにコレには乗れない。
ドゥリケル到着。標高1500mの丘の上の町だが、暖かい。
変な例えだが、すごく晴れた休園日の遊園地、のような不思議な印象を受けた。
人はいるのだが、しかし空虚のような。
日差しは強く、風はない。
スペインのバレンシアでも、同様な体験をした。
時が止まっているような空間だった。
サリーなどの衣類が美しい。
「オレを撮ってくれ。」とのこと。
子どもも寄ってくる。色彩もよい。
この町では、外で過ごしている人が本当に多かった。
その後、バスでバクタプルへ移動。今日のパナウティ、ドゥリケルといった小さな町に比べ、元は首都でもあった古都である。五重塔は高台の上に建てられ、遠くからバクタプルを眺めてもひときわ目をひくものだ。繁栄した都を表すシンボルだ。
町の南にある広場ではたくさんの壷を干している。この広場は8年前と変わっていないな。
さすが古都。窓の装飾も凝っているものが多い。
こういうのも、かなりカッコいい。
今日はよく歩いたのもあり、少々疲れもある。夕方、カトマンズのホテルへ戻る。夕食はバスパーク近くの食堂でモモ。やはり美味。
22時頃就寝。明日はネパール旅行の最終日だ。
[8] 2011.1.2
8時起床。ホテルを出発し、ブッダニールカンタへ向かう。バスパークでブッダニールカンタ行きのバスを見つけるのに苦労したが、何とか乗車。ナラヤンタンとも呼ばれるらしく、それが行き先の名前として連呼されていた。カトマンズ盆地の北に位置する町。
池の中央に、ヴィシュヌ神が横たわる。これが、1300年程前からあるらしい。その昔の様子を想像すると、これはなかなかすごいものだとわかる。当時は柵もなく、もっと自然豊かな中に、池の上に横たわる神様があったのだろう。
近くの食堂で朝食。チヤ、ドーナツ、野菜の揚げ物、カレーをいただいた。かなり満足。45ルピー。バスでリングロードを通り、スワヤンブナートへ。小高い山の頂上に金色が輝いている。カトマンズでも古く、重要な聖地の一つ。カトマンズ盆地がまだ湖だった頃から、丘の上に建っていたという伝説もあるらしい。
タルチョが風にひらめいている。高く、青い空に、ゆらりゆらりと鳥が風にのっている。トンビだろうか。
ここはとても空に近い場所だ。カトマンズの盆地も広く見渡せる。街を眺めながら、今日でネパールの旅行も終わりか、と振り返る。
空には、トンビ達がゆっくりと飛んでいる。
その後またリングロードを通るバスで、パタンへ。ここへ来るのは2度目だが、少し驚いてしまった。町の美術品の質が高いのだ。土産として売っている仏像も、他のエリアと比べるといいものが多い。価格も高いが、思わず欲しいなと思ってしまうものが多い。この町では、建築の装飾も、工芸品のように見えてくる。今でも職人が多く住む町なのかもしれない。
マホボダード寺院の彫刻には圧倒された。ものすごい数の仏像が、インド・シカラ様式の塔に彫られている。それも塔のあるこの場所は、建物が建て混んでいる。密度の高い、凝縮されたような空間だった。
その後も、やはり仏像屋がおもしろく、物色しながら歩く。もっと時間があれば、数日楽しめそうだ。
パタンの中心ダルバール広場へ。レストランの屋上からスケッチ。最終日だが、パタンへ来てよかった。今回の旅行では、カトマンズ盆地の田舎の町をまわったが、その後でパタンへ来ると、都の文化的なもののよさが認識しやすいかもしれない。
19時パタン発、19時半ラトナパーク着。カトマンズ中心部でカレー粉等の土産を買い、ホテルに預けていた荷物を受け取る。
屋台で最後にモモをいただいた。葉っぱで作った皿に入れてくれ、ソースをかける。やはりこれは今回の旅行の食事で最も気に入ったものだ。「ミト・ツァ(美味しいです)」と伝え、タクシーで空港へ。
21時空港着、23時25分定刻通り離陸。香港ドラゴンエアーKA191便。
現在、ミャンマーの上空である。早朝、5時半頃に経由地の香港到着予定である。
[9] 2011.1.3
朝5時半、経由地の香港着。乗り継ぎ便までの時間があるので、バスで香港の中心街へ。食材・雑貨を売るマーケットが立ち並ぶエリアへ。賑やかだが、以前来た時はこういうマーケットの中をトラムが走っていたように覚えており、それに比べると少々もの足りない。肉まんや麺の朝食をとる。その後、セントラルへ。超高層ビルが立ち並ぶエリアだが、車のクラクションがなくネパールより静かかもしれない。
ネパール後だからか、それほど香港で楽しめそうにないので、空港へ戻る。空港のカフェで、メモとスケッチ。ネパールで買った絵はがきでヨーロッパにいる友人へ手紙の返事など書く。
16時半、香港国際空港発。キャセイパシフィック航空CX532便。
22時、中部国際空港に無事着陸。
23時半、覚王山の家へ帰宅。